【MRJ】日の丸飛行機の歴史に新たな1ページが刻まれた日
国産旅客機MRJとは?
2015.11.11、AM9:35離陸
日本の航空機の歴史に新たな1ページが刻まれた。
それは、愛知県の名古屋にある営名古屋空港で行われた飛行試験。
その飛行機の名は『MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)』だ。
もちろん造ったのは三菱航空機で親会社は三菱重工業。
ニュースなどにもたくさん取り上げられ、
飛行機マニアたちは名古屋に集まり、その雄姿をシャッターに納め歓喜した。
なぜそこまで日本がイチ飛行機のフライトに沸いたかというと、
それは遡ること半世紀前、1962年に初飛行をしたプロペラ機YS11(三菱重工業)以来の国産機の飛行だったからだ。
現在私たちが日常的に利用している航空機(JAL、ANA、LCCなど)は日本会社もあるが、
飛行機は海外で作られて輸入されたものがほとんどだ。
昔から高い技術力と精密さをもった日本だが、
この半世紀は欧米の下請けに専念してきていた。
理由はもちろん日本が戦争に負けたことだ。
かつて日本は『零戦』と呼ばれる世界を震撼させた飛行機を作り上げるほどの技術があった。
しかし、その技術はいつしか欧米諸国にも追い越され、戦争にも負けてしまい、
1945年にGHQが日本の航空機の開発生産を7年間禁止すると発表した。
この空白の7年間でさらに他国の航空技術は上がり、
いつの間にか取り残された日本だったが、
1962年にやっと戦後初の国産旅客機『YS11』が大空を舞った。
しかしこの飛行機は売れ行きがあまり良くなく、結果11年後の1973年に生産終了となった。
やはり空白の7年間の代償は大きく、その後国産の飛行機はつくられなかった。
こうして高い技術を持った日本人は、部品の下請けが増えていった。
しかし今年2015年にとうとう日本の飛行機が大空に帰ってきた。
MRJが2008年に事業化し本格的に飛行機開発に取り組むこと7年!
本来の予定では初飛行は4年前に行われる予定だったが、
計画変更や部品調達の遅れなどもあり7年半もかかってしまった。
MRJが開発した飛行機は70席から90席の小型ジェット機で、
この飛行機のウリは燃費のよさと、客室の快適さだという。
またすでに発注の依頼もあり、今回の飛行試験の成功で出だしは順調といったところだろう。
今後20年間で世界的に見ても小型ジェット機の需要は高まることが良そうされ、
約5000機の需要があると見込んでいる。
既に400機の受注があるMRJは今後2500機までシェアを拡大させようとしている。
日本が待ちに待った国産の飛行機MRJ、
日本のウリの精密さや安全性を高め、
安心して空の旅を任せられる代表の飛行機となって、
是非今後たくさん空を舞ってほしいと願う。